9月も半ばを過ぎた、というのに残暑が厳しいですね。
頬をしたたり落ちる汗をふきながら、大きな宿題をまだ仕上げていないことを思い出しました。
今年の8月7日〜9日まで、長崎市内で開かれた原水爆禁止世界大会に共産党洛南地区委員会を代表して参加しました。みなさんにその報告がまだできていませんでした。
長崎訪問で僕が学んだことについて、メモ風になりますが、書き記しておきます。
1,22年前の「電流が走るような衝撃」をふたたび
僕が平和運動に参加し、共産党と出会うきっかけとなったのは、高校3年になる春の修学旅行で長崎を訪問して、原爆の恐ろしさや悲惨さを目の当たりにしたことでした。
原爆資料館でみた原爆の実相を数々の写真が、その後の僕の人生を変えました。
●被爆直後、呆然とする母親とお乳を呑む気力さえない赤ちゃんの写真。
●焼け野原を弟を背負ってさまよう兄。
●全身ケロイドだらけの真っ赤な背中の若者。
これらは、ネット上でも、例えば以下のURLで見ることができます。
http://blog.livedoor.jp/genbaku1945/ 当時18歳の僕は、それらの写真を見た瞬間に、体中に電流が走るような衝撃を覚えました。
「もし、この写真にうつる人々が、自分の父や母、兄や姉だったらどうだろう?自分はその現実に堪えられるだろうか
?」
あれから22年。
一枚一枚の写真はやはり涙なしには見ることができませんでした。22年前と同じような衝撃をうけました。
しかし、今回は、思いを馳せる対象がうんと広がっていました。
「もし、愛する妻や息子だったら。大切にしたい仲間たちだったら。今を一生懸命生きる人たちだったら・・・」
一瞬のうちに生命を奪いさり、生き残った人々をも苦しめ続ける原爆に、あらためて強い怒りを感じました。
あの22年前の感性は、いまもなお僕の体の中で、僕自身を突き動かす原動力になっている。
自分をひとつ肯定することができたような思いでした。平和な日本と世界をつくりたい、その運動のなかで、自分を成長させたい、という僕自身の原点を確認することができた世界大会でした。
2,核兵器をなくせ!非核の世界と日本を
長崎での世界大会に参加して確信したことの一つは、非核の世界と日本をつくろうという世論と運動は確実に広がっている、ということです。
大会全体を通して印象的だったのは、7日の開会総会、8日の分科会、最終日の閉会総会と壇上にたつ方はもちろん、会場に集う参加者のみなさんがとても前向きで、確信にみちていた、ということです。
最終日の閉会総会で採択された「原水爆禁止2007年世界大会ー長崎決議、長崎からのよびかけ」の中に、次のような一文があります。
「テロと核拡散」を口実に、核をふくむ先制攻撃戦略を推進しているアメリカは、イラク戦争の泥沼化によって、国内外のきびしい非難にされされ、孤立を深めています。日本では、参議院選挙で安倍政権に厳しい審判が下り、“アメリカとともに戦争する国づくり”をめざす9条改悪のくわだてに、大きな打撃を与えました」
久間元防衛大臣の「しょうがない」発言での辞任、原爆症裁判での相次ぐ勝利判決を受け、厚生労働省が原爆症認定の基準の見直しを示唆する発言などなど、世論と運動が確実に情勢を動かしてきました。
核大国のアメリカなどは、依然として核抑止力にしがみつき、先制核攻撃の戦略を見直すどころか、いっそう強める動きを見せています。1980年代半ばを頂点とした核兵器配備競争を、日本と世界の核兵器廃絶を求める運動が包囲してきました。
「長崎からのよびかけ」は、「2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけ、草の根の運動、市民社会と政府の連帯した力で、核兵器廃絶の明確な実行を迫っていくこと」が特に大切であると強調しています。
この方向にこそ、核兵器廃絶へのたしかな展望があるーー参加者や発言者の前向きな明るい顔のおおもとには、こうした世界の大きな流れへの確信があるのだとおもいました。
3,分科会に参加して
二日目は、「非核日本宣言と日本の未来」というテーマの分科会に参加しました。
「非核日本宣言」運動とは、何でしょう。
「しんぶん赤旗」の記事が詳しく紹介していますので、こちらをぜひご覧下さい。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-27/2007042701_05_0.html
この記事のなかで、次のような下りがあります。
「非核日本宣言」でこそ、日本が核の威嚇に対して核で対抗するという悪循環から抜け出し、日本の外交の道義と信頼を回復することができる」
保守や革新を問わず、幅広い人々との共同で、ぜひ政府に非核日本宣言の実行を迫っていく運動を宇治城陽久御山の地域でも広げていきたいと、この分科会に参加して強く感じました。
さて、この分科会で大事だと思ったことがもう一つあります。それは新原昭治さんという、長く日本共産党の国際・外交分野で活躍されたいた方が、「憲法9条を守るたたかいと非核日本宣言の運動との関連について」述べたことです。
新原さんは、大要、次のように話されました。
アメリカは、憲法9条を変えて、自衛隊の海外派兵を公然とできるしくみづくりを日本政府に求めるとともに、核兵器の使用を容認する世界の世論づくりをねらっている。そのためには、被爆国日本での反核運動が邪魔で仕方ない。こういうアメリカの思惑への明確な反撃が、非核日本宣言の運動だ。だから、憲法9条を守る運動と非核日本宣言の運動は、その両方を思い切って広げていくことが大切だ。
とても大切な視点だと思いました。
宇治、城陽、久御山の議会や首長の間で、どうやってコンセンサスをはかり、賛同を広げていくか、大いに知恵を集めるべき課題です。
4,豊かに発展させられている各地の運動に学ぶこと
全国各地の草の根からの核兵器廃絶に向けた運動を学ぶことができたのも大きな収穫でした。
とくに、僕は、初日の青年の集会で発言された東京の青年の経験に刺激をうけました。
東京で「被爆者の方の体験を聞く会」というイベントをこまめに開いている経験を紹介した青年は、「無理に人を集めようとせず、少人数でも共感し、行動する人を少しずつでも広げていくことを大事にしている」と語ってくれました。
ミクシィというサイトで、イベント告知し、被爆者の話を聞いて感じたことを自分の言葉で返していく。こうした取り組みのなかで、毎回新しい人が参加するようになった、というのです。共感の輪をいかに広げるか、そのことの大切さを教えてくれています。
一過性のものでなく、何十年と「6・9行動」を継続させている兵庫県の原水協のみなさんの取り組みは、j非核の証明書がない艦船は入港できない、「非核神戸方式」という画期的な原則を実現させました。東京の教職員組合の青年部の方は、自転車で長崎までやってきました。「思いを形にすることが大切」という下りに、聴いている僕自身が熱くなりました。
外国代表団のみなさんからは、それぞれの国での運動を前進させている経験がリアルに語られました。2010年のNPT再検討会議にむけて、核保有国に対する明確な態度を求める声を多数派にしていこう、というよびかけ、あるいは朝鮮半島の非核を求める運動が在外被爆者の救済を求める運動と結んで、韓国で大きく前進している経験が生き生きと語られるなど、いずれも「世界が確実に変わりつつある」ことを実感させるものでした。
5,さいごに
猛暑のなかの3日間でしたが、僕自身、とても貴重な体験をさせていただきました。
結びにあたって、「永井隆記念館」を訪問して感じたことを書かせていただいて、まとめたいと思います。
2日目の分科会終了後、どうしても永井隆記念館に行きたくて、足を運びました。
永井隆記念館については、以下のURLで詳しく紹介されています。
http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/ キリスト教徒としての深い人類愛から、白血病という自身の病気とたたかいながら、被爆者の救護の先頭にたち、戦争のない愛と平和にみちた世界を求めて様々な活動に携わった永井隆博士。そんな慈愛に満ちた博士の足跡をたどっているなか、「平和の塔」というエッセイ集と出会いました。この本のなかに、「共産党員を愛せよ」というエッセイがあります。
思想と行動としての共産主義を否定しながらも、その共産党員を愛せよ、と説く永井博士。
当時の教育の影響もあり、共産主義を悪の象徴のように描くことは、時代的制約ともいえます。それほど、戦前の思想統制というは苛烈きわまりないものだったのでしょう。
しかし、そういう時代状況のもとでも、永井博士は、人々が共産党に加わる背景、国民や労働者がおかれた過酷な実態と、やむにやまれず戦いに立ち上がっていく人々の心を斟酌しよう、とよびかけます。僕は、永井博士のこの視点が大事だと思うのです。
いま、私たちは、日本共産党の綱領と日本社会の前途を国民のみなさんとともに語りあう壮大な運動に取り組み、きたるべき総選挙で必ず躍進するために、国民のみなさんのなかで大いに汗をかこうと決意しあっています。
そのさい、大切だとおもうのは、なぜ、自分自身が共産党に出会い、共産党に入ったのか?という原点をみんなが、自分の言葉で語ることだと思うのです。
深く怒り、深く悲しみ、深く歓ぶ。
素朴で深い祈るような思いを共有することから、はじめてみたら、いろんな人たちの「やむにやまれぬ思い」が感じられて、共感の渦が進むべき道をつくりだしてくれると思うのです。
己を愛するごとく隣人を愛せよ。この言葉が、僕は好きです。
そして、この言葉の意味を深くふかく受け止めながら、平和をまもり、くらしを守るたたかいに、新たな気持ちでとりくもうと強く念じた、長崎への旅でした。
少し長くなりました。取り急ぎ、文章をアップしました。写真なども、あとで補足的に載せるようにしたいと思います。
おつきあいいただき、ありがとうございました。